【番外編】「店じまい」
2022.12.14今週のつぶやき
「店じまい」
文:九段 前田祐司
短い間でしたが、今回が最終話です。
思い起こせばこのシリーズの前身である月刊雑誌「将棋世界」で、『言い訳をしたい棋譜』をスタート させたのが平成26年(2014年)の2月号でした。その連載は平成29年(2017年)の12月号まで約4年続き 、全41話となりました。そして、日本将棋連盟のホームページに引き継がれ、装いも新たに『前田九段の お目を拝借』とタイトルを変え、平成31年(2019年)の1月に再スタート。これは、令和2年(2020年) の8月まで、全14話の掲載でした。
さらに、書きためてあった原稿を今回、この「柏将棋センター」のホームページにて令和4年(2022年 )の11月9日から今日まで掲載していただくことになりました。これは全6話だけですが、これをもって 私のエッセイは無事、完結を迎えることができます。
エッセイの総数は61話。途中、完成まで「頭がボケたらどうしよう」と心配しておりましたが、その心 配とも今日でオサラバ。この場をお借りして、「読者の皆様」、「将棋世界」誌、「日本将棋連盟ホーム ページ」、「柏将棋センター」の皆様、そして、石田和雄九段に厚く御礼を申し上げる次第です。誠にあ りがとうございました。
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終わりといえば、総括として「成績発表」をするのが定跡かしら? 私は一応、勝ち負けを争う将棋の 棋士ですからネ。ではまず、全体の成績から発表しましょう。
【私の通算成績】
20歳で棋士デビューしてから引退まで、約40年(正確には39年と9カ月)。1,077戦して、456 勝621敗。勝率は「0.423」。負け越しておりますから、当然ながら“ヘボ棋士”に分類されます 。私は将棋ファンとの交流、あるいはエッセイにおいてヘボ棋士を名乗っていますが、それもそのはず、 成績を見れば一目瞭然。時々、「ご謙遜を」と気遣ってくれる人もおりますが、ご覧の数字からそうでは ないことがお分かりになると思います。私は“正直”なのでありンす。
ただ、最初からヘボ棋士だったわけではありません。私だって多少は活躍した時期もあったのですヨ。
【活躍の時期】
●昭和53年(1978年)「第12回早指し選手権戦・ベスト4
●昭和54年(1979年)「第13回早指し選手権戦・ベスト4」
●昭和57年(1982年)「第1回全日本プロトーナメント・ベスト4」
●昭和60年(1985年)「第19回早指し選手権戦・ベスト4」
●昭和61年(1986年)「第36回NHK杯戦・優勝」
ちなみに、
・「早指し選手権戦」の持ち時間は10分。それを使い切れば、1手30秒の秒読み。
・「全日本プロトーナメント」の持ち時間は3時間。使い切れば、1手1分の秒読み。
・「NHK杯戦」の持ち時間は10分。その後、1分単位の考慮時間が10回。それを使い切れば、1手30秒 の秒読み。
このように見てくると、私は短時間の将棋において善戦する傾向が見られます。半面、長時間の将棋は からっきしダメでした。それでも、持ち時間6時間の順位戦では、
●昭和60年(1985年)4月1日、「B級1組」に昇級・昇段(七段)したこともあるンですネ~。
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【結論らしきもの】
将棋は詰まるところ“知恵比べ”。頭の良い人が勝利を収めるゲームです。棋士には頭の良い人がワン サカいます。歴代の名人はその代表格といえるでしょう。
私は平成2年(1990年)8月31日、徳島県で行なわれた「第31期王位戦第5局」の打ち上げの席で、谷 川浩司王位(現・十七世名人)に次の質問をしたことがあります。
前田:「谷川さんは頭が良くて、学校の成績は一番と聞きましたが、それは本当ですか?」 谷川:「本当です」
前田:「予習・復習は1日どれくらいされましたか?」
谷川:「それは、1回もやったことはありません」
前田:「???」
谷川:「勉強は、先生の話を聞いていれば分かりましたから」
谷川さんは将棋界の“スーパースター”。普段なら恐れ多くて軽口など叩けないのですが、関係者だけ のくだけた席。イヤな顔一つせず、私の突然の問いにもこのように答えてくれたのです。谷川さんは棋士 の模範になる人。
それにしても正直な話、この答えには腰を抜かしました。なぜか? これまで私の周りには、“先生の 話を聞くと眠り込んでしまう”人間ばかりだったからです。先生の話は極上の子守歌、皆、スヤスヤと眠 れました。私も“同歩”。谷川さんとは頭の構造そのものが違うのですね~。
ただ、ここで疑問が生じました。名前は言えませんが、棋士の中には明らかに頭の悪い人もいます(私 もその仲間かな?)。頭の良い人が棋士になれるのは当然も、なぜ、頭の悪い人が棋士になれたのか…… (私もどうしてなれたのかしらン)??? 長年、これは謎だったのです。しかし、この謎も最近になっ て、答えらしきものが判明しました。
その答えは、「人には向き・不向きがある」という、極めて単純なもの。
例えば、「走るのが速い人」・「泳ぐのが上手い人」がいますが、誰もが努力をすれば速くなったり、 上手くなったりするものではありません。この理屈は脳みそにも当てはまるのではないでしょうか。
何事にも「向き・不向き=適正」というものがあり、私が棋士になれたのは、単に「将棋に適正」があ ったからでしょう。とはいえ、私がいくら頑張って努力しても“将棋に適正があって頭の良い人”には勝 てないと思いますし、これが結論ではないかと思っています。私が通算成績で負け越したのも、A級八段 になれなかったのも、上記の理屈で説明が付きます。私は幸運にも「将棋に適正はあった」のですが、残 念ながら「頭が悪かった」。♪ただ~それだけ~#のことなのだと思います。
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【勝率5割になる方法があった】
私のエッセイの最後は、棋士として“恥ずかしい成績発表=負け越し”という締まらないものになって しまいました。もう少し格好良く終わりたかったのですが、事実は事実。仕方ありませんネ。せめて指し 分け=勝率5割なら格好も付くのですが……。
と、そう思ったとき、「勝率5割になる方法」があったのに(今ごろになって)気付いたのです。
私は「早指し型」の棋士に分類されます。好成績を挙げていたのも時間の短い棋戦です。棋士デビュー した当初は、短時間・長時間の将棋にかかわらず、持ち時間はあまり使いませんでした。従って、勝って も負けても対局の終わるのはいつも早い時間。勝った場合はそれでもいいのですが、どうも負けた場合の 見た目が良くないのですね。周りの人には、「あいつは、いつも仕事を手抜きしてる」と映ったようです 。先輩の棋士からもずいぶんとお小言をちょうだいしました。「君は著しく敢闘精神に欠ける。もっと真 面目に将棋に取り組みなさい」と。
当時、将棋界の先輩方には絶大な権限がありました。駆け出しの“ヒヨッコ”の私に抵抗する術(すべ )はなく、嫌々ながらも先輩方の指示に従わざるを得ないのです。若い時から本格的にプロの修行をした 棋士は、時間を使い深く考えることで好手・妙手がひねり出せると考えます。ところが、アマチュア時代 が長くして棋士になった人=私=には、最初に浮かんだ手、いわゆる“パッと見の第一感”が正しいので す。「パッと見の第一感」→「直ぐに着手」というこのリズムは、「アマチュア将棋出身の棋士」にとっ て最高のものなのです。
注:アマチュア将棋出身の棋士の指し手が早いのには理由があります。将棋は面白い娯楽ですから、1 日に何局も(10~20局も)指して将棋を楽しみたいのです。町の道場で1手指すごとに考えている と、大人から、「ナニいつまでも考えているんだよ。早く指せ!」と怒られます。そうなると、知 らず知らずのうちに早指しが身に付いてしまうのです。私はプロ棋士になったからといって、その 癖を簡単に変えることはできませんでした(言い訳かな? なにせこのエッセイのスタートは、『 言い訳をしたい棋譜』というタイトルでしたからネ)。
とはいえ、先輩方の“ありがたい忠告?”のお蔭で、その後は1手々々考えるようになりました。確か に考えると、“たまに良い手も指す”のですが、逆に、ヘタに考
込んだことで途中で気が変わり、第一 感の手を止め、待てヨ~と、ほかの手を選
んでしまい“がち”になるのです(考えに考えた手だから、ど うしても良さそう見
えてしまうもので……)。
現役のころを振り返ってみた今、先輩方の忠告は“聞いたふりをして、聞かない
のがベストだったと 思うようになりました。私が順位戦のB級2組で低迷したのも、途中で思考スタイルを変化させたからか も知れません。
エッ! 「イヤ、それは違う。単にお前が弱かっただけだろう」とおっしゃいますか? ハイ・ハイ・ ハイ、そうですよネ~。郵便ポストが赤いのも、皆、♪オイラが悪いのサァ~#でありますヨ。でもね~ 、早指しのスタイルを貫いていれば、楽々、勝率5割を超えていたと私自身は思うのですがネェ~。
おっと、なんとも愚痴っぽい、情けない最終回になってしまいました。次に生まれてきたときは、最低 でもA級・八段を実現させます。
では、またどこかでお会いしましょう! ありがとうございました!