日本将棋連盟東葛支部 柏将棋センター

今週のつぶやき

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【番外編】「“2”億万長者(後編)」

2022.11.23今週のつぶやき

「“2”億万長者(後編)」
九段:前田祐司

 

株で600万円も儲け、そのうえ、今また「早指し選手権戦」予選の決勝で私に勝利し、本戦入りを決めて上機嫌の釼持松二(けんもち・しょうじ)七段(現九段=故人)。実は対局前、釼持先輩から、「終わったら、寿司を喰いに行こうよ。今日はいくらでもご馳走するよ!」と誘われていました。そして、約束どおり、感想戦もそこそこに、うなだれている私を気にすることもなく、先輩は意気揚々と連盟近くの中根寿司(今はありません)に向かったのです。
あらかじめ席を予約しておいたのか、そこには日本棋院の囲碁棋士、Y・A九段ともう一人の囲碁棋士もいらしていました。先輩の知り合いで、この日、何かの用事で将棋会館に来たようで、バッタリ会った先輩が誘っていたようです。ちなみに、日本棋院と将棋連盟は良好な関係です。
さて、お互いに挨拶も済むと、開口一番、
釼持:「今日は株で600万、儲かりました」
あらためて先輩の自慢話が始まります。囲碁のお二人も、すでにそれを聞いていたのでしょう、
一同:「凄いですね~」
我々は社交辞令で返します。でも、この場合は半分、正直に“凄い・羨ましい”と思っていました。
釼持:「今日はすべて、私がご馳走します」
一同:「ありがとうございます。で、どれくらいご馳走になれるのかと……?」
これも半ば冗談で聞いたのですが、次の先輩の言葉には一同、さすがに驚いたのでした。
釼持:「ここのお店にあるすべてをご馳走します。飲み物から食べ物まで全部です!」
そして、ここからは先輩の独演会。我々はただただ金主様のお話に聞き入るばかりとなりました。

以下は、先輩の語るサクセスストーリーをサマリーしたもの。
・初めに、新宿に3,000万円で将棋のレッスン用のマンションを購入。
・当初は、ローンの返済で大変だったが、新宿に東京都庁の移転計画が浮上し(平成3年(1991年)4月、東京都庁は丸の内から新宿へ移転)、マンションの値段は2億6,000万円に高騰。
・銀行から「お金を借りてほしい」と矢の催促を受け、仕方なく5,000万円ほど借りてあげた。
・それを元手に株式投資を始める。
※「早指し選手権戦」予選・決勝(平成2年(1990年)5月31日)の半年ほど前、私は釼持先輩と「天王戦」(てんのうせん)で対戦していますが、そのころは株式投資の“自慢話”は聞いていません。そこから察するに、先輩は短期間に、もの凄い勢いで儲かったのだと思います。
・今現在の資産は、株が2億円、そしてマンション。取りあえず、当面の資産目標は5億円。資産が10億 円になったら投資は止める。
※この時、先輩の資産は4億円前後と推測。
・そうなったら、態度の良い若手棋士から(自分が)将棋の指導を受け、勉強する。1回2時間程度で、レッスン料は私が若手に30万円を支払う。前田君も先生として呼ぶから、私に稽古をつけてネ。
※この時、先輩の年齢は56歳。棋力の衰えが気になるお歳ごろでした。

お寿司とお酒をご馳走になり、すっかり良い気分になった私は、先輩をヨイショするつもりで、
前田:「先輩は億万長者なんですね~」
と、ボソッと呟いたのですが、これを聞いた先輩は急に不機嫌になったのです。
釼持:「前田君、君は今、億万長者と言ったのかな? 億万長者と?? あのネ、前田君。私は億万長者なんかではないンだよ。私は株を2億円持っているのだから、“2”億万長者なんだ。知らない人 が聞いたら勘違いするじゃないか。いいかい、億万長者はふつう、1億円のことを言うんだヨ。ところが私は、その倍、“2”億持っているんだ。だから、“2”億万長者というのが正しい言い方なんだ。将棋だって1筋違えば大きく変わるどころか、別物になってしまうだろ~。物事は正確に 言ってくれないと困るんだよね~、正解にね~」
先輩はだんだんふくれっ面になって、絡んでくるのです。とても気まずい空気。しかし、ここで囲碁の先生が助け舟を出してくれました。
YA:「イヤ~!! さすがに将棋の先生はスケールが大きいですネ~。囲碁界とは大違いです。なるほど~、“2”億万長者ですか~。釼持先生の話は筋が通っていますね。イヤ、感服しました。我々の ような碁打ちにはトンと縁のない単位なので、これは勉強になります。確かに、1と2ではまったく違いますからね~」
注)本当は囲碁の先生の方がスケールは上で、お金持ちも多いのです。
1筋違えば大きく変わるという例え話は、どういう意味なのか理解できませんが、囲碁の先生のひと言で先輩の機嫌は直ったのでした。しかし、お寿司屋さんで食べ放題・飲み放題というまたとない機会に恵まれたものの、我々はまったく食が進みませんでした。延々と続く先輩の自慢話だけでお腹がいっぱいになったからです。

お寿司屋さんにどれぐらいの時間いたのか忘れましたが、囲碁の先生方とはそこで別れ、釼持先輩と私はもう一軒、飲みに行くことになりました。もちろん、先輩からのお誘い、また、おごりです。
場所は……代々木方面or青山方面だったか? どうしても思い出せないのですが、「赤とんぼ」というお店で、妖艶な美人のママさんと、綺麗なオネエさんが数人いるお店でした。中でもママさんの美貌は群を抜き、私はしばし見とれる始末。
前田:「凄い美人ですねェ~」
先輩に耳打ちするように話すと、先輩は満面に笑みを浮かべ、
釼持:「そうかい~、元の女房だヨ」
どこか照れくさそうに言ったのです。ただ、その裏にはまたも自慢の態度が見え、それを聞いた私の心の声は、「悔しい、また威張られてしまった!!!」でした。
このお店は、先輩の別れた奥さんが経営しているお店で、ダンスが踊れるほどの広いスペースがあります。この日、さんざん先輩の自慢話を聞いてきた私は、
前田:「あぁ~あ、疲れた。久しぶりにダンスでも踊ろうかな~」
と、つい口走ってしまったのですが、これがまた、自分を傷つけることになったのです。
注)私の踊れるのはチークダンス。女の子の手を握って、ただ突っ立てるだけです。
釼持:「ヘェ~、ゆうちゃん、踊れるの? じゃぁ、その前に私が」
そう言うと、すぐに女の子の手を取って踊り始めました。軽快なステップでフロアを縦横無尽。しかも、リズムはジルバ。ステップの難しいサウンドですが、先輩のダンスは本格的で、ビックリするほど上手なんです。その上手いダンスを目の前で見せつけられてはいけません。単に突っ立てるだけのチークダンスでは、なんだか間抜けに思えてきて、私は踊る前から“投了”しました。

こうしたバブル景気も平成3年(1991年)の年末に崩壊。今思えば、その1~2年前辺りが先輩の絶頂期だったのでしょうね。
後日、先輩は寿司屋での出来事、つまり、私が“億万長者”と言ったことが間違いだということを、仲間の皆に吹聴していました(先輩は基本的に自慢話が大好きなのです)。
釼持:「まったく、前田君は物を知らなさすぎナンだよね~。私のことを“億万長者”なんて、ありふれた呼び方をするからサ、私はそれは誤りだよ前田君。私は2億円持っているのだから、“2”億万長者なんだよ。そこを間違えられたのでは困るンだな~。物事は、清く・美しく・正しく言ってくれと、キツく叱っておいたけどネ」
以降、しばしの間、連盟では「2億万長者」が流行語になりました。
 
 

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