日本将棋連盟東葛支部 柏将棋センター

今週のつぶやき

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【番外編】前田祐司九段寄稿エッセイ

2022.11.09今週のつぶやき

「黄昏の“将棋指し”」
文: 九段 前田祐司

 

 昭和が終わり、平成の世が始まって1年が過ぎた辺り(1990年ごろ)から将棋界の様相が大きく変わっていきました。以前、別のエッセイで「羽生さんは常識があって強い」と言いましたが、そうした新しい人達が現われてきたのです。牧歌敵な雰囲気の将棋界が一変するという、今回は時代の変わり目の話を残そうと思います。

 ここでは、「将棋指し」と「棋士」という言葉を使ってお話しますが、前者は旧人類、後者は新人類という意味です(おっと、この言葉はすでに古いですネ)。「将棋指し」はノンビリとした古き良き時代、また、無頼な香りが漂い、「棋士」は現代的でお洒落、スマート&ク―ルという印象カナ? その“棋士”が、平成の世になってから、“将棋指し”をことごとく駆逐していったのであります。

 通常、多くの分野で、先輩は経験値に勝り、新人は太刀打ちできません。ところが“棋士”の登場で、将棋界ではまったく経験値が役に立たなくなったのです。八段・九段の将棋指しが新人棋士の四段・五段にコロコロと負け、NHK杯戦を主催するNHKには、「八段・九段」は、もっと真面目にやれ!!」と、ファンからお叱りの投書が多数、寄せられました。

 以前であれば、四段・五段が八段・九段に勝つというのは「金星」と騒がれ、それほど新人と先輩の力の差は歴然としていたのです。ところが、“棋士”達が“将棋指し”を次々と負かしてしまう事態が数年も続くと価値が逆転。八段・九段が四段・五段に(珍しく)勝つと、ファンから「先生、金星ですね」と言われるようになっちゃったンです。

 平成6年(1994年)の第52期名人戦は、米長邦雄名人と羽生善治四冠の間で争われ、4勝2敗で羽生新名人が誕生。これが劇的な時代の変化を告げる象徴的な出来事と思います。これ以降、“将棋指し”がタイトル戦に顔を出すことはほとんどなくなってしまったのです。

 しかも特筆すべきは、この現象が各クラスにおよんだ“全体的な激変”ということ。それまでは、単にタイトルの移動に伴う“トップの交代”という部分的なことで、トップは変われどほかは変わらなかったのです。

 しかし、どうして「賢い哺乳類=棋士」が「恐竜=将棋指し」全体を乗っ取ってしまったのか、当時、将棋指しは誰も分からなかった……いや、それを考える余裕はまったくなく、いわんや“時代が変わるド真ん中にいる”などという概念すらなく、アレヨアレヨという間に全体的な激変劇が進んでいったのです。

 今にして思えば、その劇が進んだ理由は、“棋士達の無心”にあったのではないかと考えています。

 私が奨励会に入会した動機は、「プロになって新宿の歌舞伎町で遊びたい」という、不純極まりないものでした。

 後先を何も考えず、18歳4級で奨励会に入会したものの、すぐにスタート時点で3年遅れということに気付き、愕然とした青春の日々(当時の奨励会のスタートラインは15歳4級が相場)。加えて住み込みの塾生は、“ただコキ使われるだけ”の存在。それを打開するには、ひたすらモチベーションを高め、しかも、それを持続させる以外、手段はなかったのです。「将棋指し=四段」になったら、「毎日、歌舞伎町に行ったるデェ~」ということだけが原動力だった……寂しかったナァ~。

 後年、棋士になって分かったことですが、当時のほかの奨励会仲間も、「将棋指しになったら、カツ丼を腹一杯、食べる」というのがモチベーションだったそうです。これは、この業界の昔からの合言葉だったような気が……“ご馳走をたらふく食べ、綺麗なオネエさんのいるお店で遊ぶ”という、切ない願いが込められているのですネ。

 修業中の奨励会員は無報酬。プロ四段になれば、「給料・対局料・ボーナス」がもらえる正社員(当時のシステム)。皆、考えることは同じだったンです。

 しかし、“賢い哺乳類=棋士”達は、純粋にゲームとしての将棋だけを追求したのです。そこが、「無心」と感じるところで、邪念は爪の先ほどもオマヘンのダス。いわゆる「姿勢」が違っており、これでは“将棋指し”が勝てるわけがないのです。しかも、彼らは生れながらの裕福な世代のようで、将棋指しのようなヒモジイ思いの経験はしていない気がします。ヒモジサは諸々の「欲望」や「煩悩」を生みますが、裕福は「余裕」や「無心」に繋がるのだと思います。

 「将棋指し」と「棋士」の戦いは、言い換えれば「煩悩」と「無心」の戦いです。結果、煩悩は時代遅れの化石となり、負けばかり。よって、瞬(またた)く間に将棋指しは駆逐されてしまったのです。

 こうして「棋士」の時代がスタート。

 「将棋指し」は対局後、必ず息抜きを必要とし、お酒、カラオケ、麻雀……などが必須でした。生身の人間で、ナンとも人間臭かったのです。しかし、「棋士」は対局のあとも、実戦さながらの練習将棋を指します。また、普段の生活においても毎日、朝から晩まで将棋をやり続けるのです。何がそこまで駆り立てるのか分かりませんが、まさに“戦うマシーン”といえ、疲れることを知りません。

 規則正しい生活を送り、「夜更かしは身体に毒。早寝早起きをし、健康のため毎日、牛乳を飲む」という印象の「棋士」。甘さや妥協はカケラもなく、清廉潔白、将棋一直線、思い込んだら試練の道を、将棋の世界に命を懸ける。俗世間の入り込む余地はまったくありません。だから、将棋はメチャクチャ強いのでありますヨ。今ではAIも駆使しています。

 幸せだった将棋指しの時代=「娯楽の殿堂・平和の楽園の時代」は終わりを告げましたが、さて、現在のような「弱肉強食」、イヤ、PCやAIという機械相手の時代、滅びた恐竜の将棋指しから見ると、ちょっと悲しい気も……。
 
 
 

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